コスタリカという国はみてきて

10日成田空港控え室に全員集合

反核医師の会主催で36名の参加で、保険医協会の担当者と国際ツーリストビューローの桝本さんが事務局で動いていただくようで、さらに今回通訳兼ガイドとして足立力也氏が案内していただくことが、今回の旅の目玉でもあるでしょう。
 それぞれに自己紹介があり、老若男女、小さい子は小学6年生からおそらく70歳はこえておられると推測される(まちがっていたらごめんなさい)ご高齢の方まで、それぞれの思いで参加されておられました。少なくとも、皆さん旅なれた方ばかりであることは確かで、「初めての海外がコスタリカ」と紹介させていただいた私に対しては、驚きとひときわお心遣いをいただいたのではないでしょうか・・・

旅行日程表

1日目 8月10日(日) 長い1日
  成田発         15:55
  ヒューストン着     13:40
         発     17:40
  サン・ホセ 着     20:30
 
2日目 8月11日(月) 老人病院視察
  医療システム

子供病院視察

 
3日目 8月12日(火) 国立劇場見学

CCSS社会保険機構交流

リハビリ病院視察

国立博物館見学

 
4日目 8月13日(水) モンテベルデへ移動

スカイウォーク

 
5日目 8月14日(木) 熱帯雲霧林散策

再びサンホセに移動

 
6日目 8月15日(金) コスタリカを発つ
  サンホセ  発     13:00
  ヒューストン 着     17:47

  ヒューストン泊

 
7日目 8月16日(土) 日本へ
  ヒューストン発      10:40
 
8日目 8月17日(日)   成田着           14:20
おまけ
 

                                   

 

10日(日)

長い1日目

8月10日の午後2時すぎに成田を発ち、12時間少々でヒューストンの空港“ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル国際航空というブッシュのためにあるような空港に降りたちました。空港をでずに3時間後のコスタ・リカのサン・ホセ行きにのりかえないといけないわけ(trangit)ですがが、それでもアメリカ合衆国への入国手続きをしないといけないようで、この手続きのためにごった返し、行列だらけ。しかも検査官はそんなことは気にもせず、ちょっとでも記載がまちがっていると書き直しという態度。これも、あのテロ以来ということで、ヨーロッパや南米からも多くの乗客がこの空港で立ち往生状態で、あちこちで係官と言い合いになっている光景がみられました。
 われわれのグループも、飛行機の前の方の席にすわっていたものは比較的はやめに手続きを終えて、手荷物受けとりのほうへいけたのですが、後ろの方の席に座っていた人たちは3時間4時間かかり、結局次のサンホセ行きの便に乗れずに、ヒューストン空港内のホテルに1泊し、翌日の朝の便になるというハプニング。ホテル宿泊料は航空会社負担となって、翌日の便ではビジネスクラスということにはなりましたが、おかげで先についたグループとは半日のスケジュール(老人病院訪問)をともにできなかったわけです。

成田から、12時間少々と3時間半をエコノミークラスですごし、サン・ホセのサンタ・マリア空港に着いたのは日付変更線を東にまたいだので、現地時間で10日の夕方9時ごろ。日本とは半日少々の時差です。サン・ホセの町の光は飛行機からみるとほんのりとオレンジ色の花をちりばめたように見えたのが印象的でした。

首都のサン・ホセは標高1200mほどのところにあり、年中20度前後の「常春」のような気候。季節は熱帯地域によくある「乾季」と「雨季」にわかれていて、日本の春から夏にかけては雨季で、今回の旅行中もきまって、朝の数時間は晴れてても、11時ごろになると雲がでてきて、お昼時は雷音とともに土砂降りになり、夕方まで雨という毎日でした。

サン・ホセに滞在中のホテルは「地球の歩き方」でも一番にでてくる老舗の五つ星ホテル、エラドゥーラ。飛行機の中でいったいこれは夕食か朝食かわかないほどに食事が何度もでてきた後に、夜の9時半ごろにホテルに到着して、また夕食がでる始末。これからは、出されるものをまじめに食べていたら身が持たないことを肝に命じた一泊目でした。

11日(月)

老人病院へ

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1日目は午前中 国立の老人病院の視察。ホテルは少しサン・ホセの郊外にあるが、朝病院に向かうためにこの国唯一の高速道路「パンアメリカンハイウエイ」を走る。このパンアメリカンハイウエイは北アメリカ大陸を縦断する道路で、アラスカからパナマまで走っているらしい。途切れなく通じているかはどうだったか???
 さて、今日は月曜日。バスは渋滞に。コスタリカには1991年に大地震があり、壊滅的な打撃をうけ、それまで走っていた鉄道も復旧できす、遅ればせながらモータリゼーションの波に飲み込まれてしまったということだ。タイやフィリピンのようなことはないようだが、渋滞がここかしこに。走っている車はほとんどが日本車。郊外の道路脇はたくさんの日本車のメーカーの販売店が軒を連ねている。この国では乗用車は日本製でバスはベンツが多い。

渋滞の中をサン・ホセの中心街へ。途中に明日レクチャーをうける「保険基金」といったらいいのでしょうか,スペイン語でCaja Costariicence de Seguro Social (CCSS) 英語でCosta Rican Social Security Fundがみえた。その隣には最大の総合病院メキシコ病院もみえます。

 

中心街にはいっても、ビルが建ち、表向ききれいに整備された発展途上国によくある首都の姿はなく、ビルらしいビルといえば最高裁判所ぐらいで、日本でいえばなんとなくさえない田舎の町程度で、そこに国立の老人病院が建っていました。

上の写真は玄関で、写っているのは名古屋から来たY先生。
下の写真は病棟をそとから眺めた写真で、ベランダで患者さんがのんびりすごしているのがわかりますか

 

もとは結核病棟だったらしく、全体を建て替えることもできず、部分的に改修を重ねて、とりあえずやっているという具合で、動線は複雑で、薄暗い雰囲気で、その昔、今から20年ほど前に、私が研修時代をすごした大阪府立病院(もちろん今はきれいにたて変わっているが)の病棟を思い出してしまった。

最初にレクチャールームに通されて、院長からのお話があった。横で通訳していただいているのが足立さんです。ご苦労様です。

老人病院といっても、曲がりなりにもこの国の中心的な老人医療を担う病院であり、任務としては@高齢者特有の診療はもちろん A高齢者医療介護のスタッフ育成  B老人の疾病の調査研究の任務を担っているそうです。

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コスタリカの医療システム

翌12日に(ここで、写真が8月12日になっているのですが、これはカメラの時間が日本時間のままだったからで、現地ではこの日は11日です) CCSS(保健基金)にホテルで保健医療システムに関するレクチャーを受けたことも交えながら、コスタリカの全体的な医療保健状況について簡単に(簡単にしか紹介できないが)ふれておかないといけません。

コスタリカは面積は5万1100kuで、日本の九州と四国をあわせくらいの広さで、人口413万人、7つの州、81の県、451の地方自治体からなっています。人口密度は74人/Ku、平均余命 77.7歳、乳児死亡率は 10.1/1000が特徴で、発展途上国のなかでは特にすぐれた数字を残しています。

医療圏としては、全国900ほどの診療所を配置した初期医療圏(第1段階:Basic Comprehensive Health Care Teams(EBAIS))が基本となっており、第2段階の救急・専門の外来診療、外科治療などを担当するの病院が140ある。第3段階として、国立総合病院や専門病院(その中にこの老人病院や今日明日訪問予定のこども病院やリハビリ病院が位置づけられている)が配置されていますが、第3段階の医療機関は首都サン・ホセに集中しています。

 医療費はCCSSが90%をカバーしており、これらの施設では基本的には無料で医療をうけることができる。どうしても国立病院などは患者がたくさんで、待ち時間が長いことも問題になっていて、手術待ちがおおいことなどが課題にあげられています。一部私的な医療機関もある。歯科は公的な保健ではまかなわれていないようです。

 2次医療圏の医療機関で、特に老人特有の問題をかかえたと判断された患者はこの老人病院を受診し、入院治療が必要であれば140床の病棟に入院となるわけです。老人病院というと、長期の社会的入院が気になるとの質問も参加者からでましたが、平均在院日数が18日で、痴呆でも90日というからおどろきです。このあたりの状況は病棟を見学してもわからないところであるが、平均の家族構成が4人と核家族が少なく、家族のつながりを重んじる国柄がのこっているなかで、自宅で介護するという考えかたが重視されているのかもしれません。また、院長も指摘されていたが、ボランティアの参加を積極的にすすめており、この老人病院でも100人のボランティアではまだまだ不十分だとのコメントがありました。広くないスペースで「デイケアー」や「介護者」のための講習もおこなっていることが印象的であった。まあ、デイケアーの風景は日本と変わりはないようですが。

また、この病院の役割のひとつにスタッフの養成がある。歴史的に、教育や医療の面で、自国での専門家育成が可能になってきた歴史があさく、それ以前は海外で学ぶことがほとんど。医療スタッフの中でも、今どのようなスタッフ養成が必要かが参加者の中でも意見の分かれるところであった。発展途上国では、専門家の養成よりも、いろいろ前線で活躍できる保健師や看護師を、スペシャリストの医師よりもジェネラリストの医師が必要なのではと考えるが、現地ではこの国で活躍してもらえる専門スタッフがどうしても先決だということである。限られた社会資本しかない国だからこそ、何にお金をつかっていくことが必要かということを真剣に考えていることが伝わってくる。私がボランティアについて重視していることについて質問したが、それもやはり必然的にたくさんの人々に参加していたかないといけない当然の結果ということかもしれない。

現在、一人当たり年間245$の医療費になっているそうだがl、基金としても、「評価と基準化」ということにとりくんでおり、ある病気に何日が必要となっているかなどの調査をしながら、質と効率の改善に取り組んでいるらしい。

新たな病院建設が準備されている隣の広場をみせていただきながら、昼休みのリハビリ室で笑顔の老婦にも別れを告げた。

お昼にパスタ料理店で、ヒューストンで一泊された人たちを合流して、午後の予定である「国立小児病院」についた。

小児病院視察

比較的新しい建物、外壁や廊下にはたくさんの楽しい絵が掲げられ、さすがにこども病院という雰囲気。

350床の病院は常に全国から2次医療圏では難しいとされる疾患などが集まる。特に未熟児も少なくない。心臓や肝臓の移植手術も行われているそうです。ここでも、平均在院日数は短い。ここでの処置がおわれば元の病院へかえることになります。狭い国といえども、ここに入院するとなると家族が付き添うのが大変になるので、いろいろな疾病のグループが周辺で家族が宿泊できる施設を備えており、それを利用しているらしい。また、面会は基本的には24時間可能だとのこと。

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12日(火)

国立劇場へ

12日は午前9時に国立劇場に1時間弱立ち寄っりました。

コスタリカで革命が起きないのは国立劇場の窓を割りたくないから、というほど人々に愛され誇りとされる歴史的建造物ですが、1890年から1897年にかけてヨーロッパの一流の技師が参加して、パリのオペラ座を模倣してつくられ、当時迎賓館的役割ももったたてものだったそうです。内部にはたくさんの装飾がほどこされていましたが、特休憩ロビーは美しく、天井には7つの州の旗が記されていました。
 コスタリカの国旗をご存知でしょうか。赤、白、青の帯はほかでもありそうなものです。赤は自由のために流された血を、白は平和を、青は空を表しています。そして、公式行事にしかつかわれないようですが中央に、細かな紋章が描かれています。中央に3つの象徴的な火山(アレナル火山、ポアス火山、イラス火山)、手前に太平洋、奥にはカリブ海が配され、その上には7つの州を表す 7つの星、そして、両脇にはコーヒー豆がちりばめられているというものです。昔、コーヒー豆ではなく、武器が両脇に描かれていたそうですが、軍隊を廃止した時から、国旗に武器はふさわしくないので、武器のかわりに主要生産物であるコーヒーにかえたという、いきさつを足立さんがかたってくださいました。
 さらに、休憩ロビーのいたるところには金箔が施されていますが、この劇場も1990年の大地震でかなりいたんだどうです。お金のないコスタリカではこの国立劇場を完全に修復する余裕がなく、この金箔は当時の歯科の学生がボランティアで、しかも授業の一環として、修繕にあたったいうお話を、足立さんの友人でこの旅の案内いっしょにしていただいた現地のディエゴさんがしてくれました。内部のフラッシュ撮影が禁止ということで、うまく写真がとれず、ここはこれだけ・・・

劇場は30分ぐらいで終えたあと、渋滞をかいくぐりながら、ホテルにとんぼ返り。

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CCSSのプレゼン

ホテルでCCSSの2人をお招きして、コスタリカの保健医療について、プレゼンテーションをうける時間です。1992年からの医療改革の骨子を説明していただきました。

印象にのこったのは、「アクセスの不公正の改善」をまず第一にあげられたこと。どうしても首都近辺に重点がおかれるが、限られた資本を遠方の国民にもできるだけ公平に配分されるよう計画的にすすめられる姿が紹介された。そして、当然予防重視も重要な方針で、予防接種が9割で実施されていることには驚きでした。

プレゼン後の質問も次々と。通訳の足立氏もずいぶん苦労されたことでしょう、、時間ぎりぎりに、終了し、隣のスペイン料理店「サンチョ・パンサ」で昼食をとり、午後のリハビリセンターへ直行。                                                

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リハビリ病院

平屋だてのリハビリセンターではリハビリ施設を案内をうけるが、だんだん疲れがたまり、後のやや暗めの部屋での講義になると、大学のスライドでの講義と同じく突然睡魔に襲われ寝込んでしまった。病棟の見学で、部屋に明かりがないことを誰かが質問して、「特に必要ありません」という答えがかえってきたことだけは覚えています。リハビリの施設としては特に目新しいものはありませんが、ここでも国立の専門病院として、リハビリスタッフの養成という役割をになっているようです。また、小児のリハビリはこれからだとのことでした。

この日もやはり、昼過ぎから大雨。雨の中を国立博物館へ。

国立博物館

ここは、1949年に軍隊が廃止されるまで陸軍の司令部があった要塞の上で、外壁には市街戦の弾痕が生々しく残っています。博物館というにはなんとものんびりした建物で、玄関を入った中庭にはまん丸の石が大小おかれていた。これは先住民の墓の近くで発見されたもので、このように丸いいわゆる「真球」wpつくることは技術的には大変高度なもので、世界○○不思議ともいわれるものだそうですが、、、

博物館の内部には、先住民の石器やスペイン植民地時代の家具や装飾品、独立の経過などが展示されていましたが、ここもフラッシュ禁止。デジカメをもっていったらよかった・・・・と悔やんでもおそい。

明日からは後半戦、いよいよ自然保護区です。

13日(水)

モンテベルデへ移動

午前8時にホテルを出発し、パンアメリカンハイウエイを北に標高1200mのサンホセから太平洋沿岸のプンタレナスまでひたすら下っていく。途中の道路わきは ずっとバナナ農園とコーヒー畑がつづく。プンタレナスとは「砂の岬」という意味で、実際に5Kmにわたって細長い砂州が海に突き出ているよな町。サンホセに比べる蒸し暑く、真夏の日本に逆戻りしたような気分になります。小さなドライブインで休憩したあとは、真北に進路をかえて、山道にはいりますが、道路はごくはじめだけ舗装されいるだけで、2時間以上でこぼこ道を土煙をあげながら駆け上がることになります。4輪駆動のパジェロみたいな車で適当で、今回私たちのように大型バスで上るのは運転手も大変な様子で、対向車があるとかなり時間もかかりました。

上のホテルで夕方スライドショーをしてもらったときにも説明があったのですが、モンテベルデは国立公園ではなくて、民間団体によって管理運営されてる自然保護区です。世界中には民間の自然保護区というのはめずらしくないのかもしれませんが、日本人ではあまりなじみがありません。なかでも、モンテベルデは特別の歴史をもっているらしい。1951年朝鮮戦争への兵役をさけるように、アメリカからクエーカー教徒がこのコスタリカにやってきたが、平野部はほとんどバナナ畑で開発されていて、自分たちの土地を地にもとめ山林を開墾することですみついたそうです。いまでは山裾から山頂付近まで自然林がほとんどなくなるほどに、森林を伐採して牧場になっています。

牧畜を主な生業をした彼らは自分たちの所有地のうち3分の1は開発せずに保護することを決め、これが今の自然保護区の基礎となったわけです。そのために裏返せば、3分の2は人間の手にかかった牧場になっているわけです。モンテベルデへ向かう山肌は尾根筋まで含めてほとんど牧草地にむき出しになっている風景画が眼にやきついて、離れないものとなりました。

モンテベルデの入り口となる サンタ・エレナは山の稜線にある小さな村

 

そこを過ぎるとすぐに宿泊地である モンターニャ・モンテイベルデに到着しました。その5kmほど奥にモンテベルデ自然保護区になります。

「地球の歩き方」という日本では数少ないコスタリカの解説本には「ここから自然保護区入り口までの道沿いに、ホテルやペンション、みやげ物店、レストランなどが建っている。全身いっぱいに森林浴をして、さまざまな動植物にであい、身も心も爽快な気分になれることだろう」と。というほどのこともないような田舎の観光地という感じですが。

ちょうど昼食時にホテルに到着。昼食後、バタフライ・ガーデンというチョウを中心とした昆虫の生態を観察できる、日本にもよくある「昆虫館」みないな施設へいくグループとあとで紹介するスカイウォークへいくグループに分かれての行動となりました。

スカイウォーク

私は後の人気の高い「スカイウォーク」に。
これは、正確にはモンテイベルデではなく、先ほどの入り口となる サンタ・エレーナの村から北に位置するサンタ・エレーナ自然保護区の手前にあり、約50mの高さにかけられた8本の橋を渡りながら樹上から生態系を観察するというものです。巨大なシダはもちろん、数多くのランをみることができるとともに、着生植物の姿を間近にみられます。この青い服の男性は群馬中央医療生協から参加した元教員で、今は畑仕事に精をだしているという楽しくかつもう少しお話をしてみたい方でした。


 

このあたりの森林は「熱帯雲霧林」と呼ばれていて、熱帯の標高800〜1300mの地域で、常に雲に覆われているので湿気が熱帯雨林よりも高く、植物の生育には適しているため、さまざまな植物がひしめいています。大木も多く、地面の近くでは陽があたらないので、特に日光の獲得のためにさまざまな工夫をこらします。つるを上にのばしていったり、つるを伸ばせないものは、「着生」といって、木の高い部分に取り付いて生きようとします。1本の木に200〜300種類もの着生植物がみれます。


 また、樹上で卵をうみ、一生を樹上で過ごす蛙までいるというほどに、湿度が高いということかもしれません。
 季節は雨季、恒例のごとく午後の雨のなかを雨具をつけて、つり橋をわたりながら、みてまわりました。あいにくの天気ですし、鳥たちの活動時間が朝の早い時間帯だけということですので、めぐり合うことはできませんでしたが、

さらに、上では「スカイトレック」という人気のお遊びがあります。ジャングルの樹上に張られたケーブルを滑車でわたりあるくというもの。まあ観察といういうよりは遊園地のようなものですが、、、下を歩くものにとってはちょっと興ざめですね

ホテルにかえって、このモンテベルデの自然に関するスライドショウを地元のスタッフにしていただいた後に近くのレストランで夕食。このときも大雨で、途中の道路で大型トラックを脱輪して道をふさぐというアキシデント。チャーターしている大型バスではホテルにもどれないということで、地元の小型タクシーを至急低配してホテルに分乗してかえるということになりました。多くの観光客がはいってきて、自然がこわされないようにとのことで、麓から一切舗装がされていないというのも考え物かもしれません。舗装してもちゃんと規制すればいいのにとも・・・ちがったかな?

モンターニャ・モンテベルデというホテルは、各部屋がコテージ風にわかれた建物になっていて、ゆっくりくつろげ、静かでした。部屋の中にはケツアールの絵がかかっています。

 

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14日

いよいよ自然保護区内へ

アリの話
 海外へいくという人を捕まえてはアリの採集を頼むM氏は今回の私のコスタリカ行きの前日に 予想どおり「アルコール入り」の瓶と採取用の「ピンセット」をもってきた。モンテベルデにきて、そんな話をしていたら、皆さんアリを見かけると「谷口さん、アリがいましたよ!!!」と声をかけてくれるようになりました。朝おきるとコテージを間をアリが延々と行列をつくているではありませんか・・・よくみるとそれはあの「ハキリアリ」 一生懸命、葉っぱの破片を運んでいたのです。採取依頼主のM氏にとってはとくに珍しくもないのでしょうが、数匹犠牲になっていただきました。下の写真アリがみえるでしょうか。右にむかって行列になっているのですが、前の2匹が緑と赤っぽい葉の立てて運んでいるのがわかっていただけますか?

 

朝食も早めに切り上げて、

奥の自然保護区に向かいました。

朝の足立さんの説明だと、この自然保護区内へは1日に入れる人数がきまっており、先着順。今日の情報だとまだ大丈夫だということですが、バスを降りたらまず受付に並んでください。ということのようです。まあ、まだ観光客の少な目の雨季だから大丈夫でしょうが、ケツアールがよく見られる乾季だともっと朝早くから出かけないといけないのでしょう。バードウォッチグを目的であれば鳥が活動しはじめるが夜明け前からで、日中になると人の目に付くようなところには現れないことからしても、山のぼりと同じで未明から準備しておくべきなのでしょう。

とにかく、受付に9時ごろには着いて、順番に入場のための書類を書いてはいらないといけません。


雨中の森林浴 

さあ、これから歩き始めようという時間になると、本格的に雨が降り始め、皆さん雨具をとりだし、降りしきる中を足元に気をつけながら、森林の中のトレイルを歩き始めました。時々立ち止まっては解説があるのですが、この大人数では全員にとどくような大声がだせず、いまひとつ。生息している動物は多いが、なかなか人前に姿を現さないのか、私たちの眼が節穴なのか、、、人間の手のはいっていない森林浴を楽しんだほうがよさそうです。

ここでも大木がつるや苔、そして無数の着生植物に覆われている姿をみることができます。

下の写真はちょっとぶれてますが、透き通ったシダをとっているところです。まじりっけのない自然であることを示しているそうです。そして、透き通ったといえば右のチョウも羽が透き通っています。わかりますか?

皮肉にも2時間弱の雨中トレイルをもどってくると晴れ間がのぞいてきました。よほど私たちは天候にめぐまれないツアーといえそうです。インフォメーションセンターの近くの樹上で「ホエザル」が姿はみせないが大きな声をだしていました。「みつけられるものならみつけてみな」といわれているようです。

保護区をでて帰途につく間のつかの間、受付近くにあるハミングバードギャラリーにたちよってみました。、甘い水で餌付けをしているさまざまな種類のハチドリがやってきています。片手間のツアーではそう間単に自然界に生息している動物観察はできないといいうことでしょう。

しかし、もう一度乾季にゆっくり観察のために訪れたいものです。足立さんのいわれたように、すこしの未練をのこして終わるのも旅の楽しさかもしれません。

昼食後は再び悪路をくだりプンタレナスへ。そして高原のサンホセに向かい、荷物を置いているもとのホテル・エラドゥーラにもどり、コスタリカ最後の宿泊となりました。

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15日

サンホセを発つ

今日は移動だけの日。サンホセで出国手続きをし、13:00発のコンチネンタル航空。

3時間半でヒューストンへ サンホセとヒューストンでは1時間の時差。ヒューストンではいったん空港をでて、空港横のホテルに一泊するので正式に入国することになります。行きの乗り換えの事件があったので、かなり時間がかかるのでは覚悟しておりましたが、比較的スムーズにことが運び、地下のかわった巡回小型電車(無人の新交通システムでしょう)で近くのエアポート・マリオットホテルに。夕食は全米でいちばん肥満度の高いテキサス州ならではの巨大ステーキ、巨大ケーキのおもてなし(?)今回参加したメンバーの中には高校生もいて、ちょうど今日(日本時間?)が誕生日ということでみんなで、スペイン語でハッピーバースデーを歌って盛り上がっていました。

16日

日本へもどる

再びコンチネンタル航空でヒューストンから。
無事搭乗手続きができるか?というところですが、作ってくれた搭乗券の名前がなぜか「TAKAHASHI」になっていて、搭乗間際で「どうしてか?」と立ち往生。どうなってるのと聞きたいのはこっちの方だといいたかったが、なんとか遅れずに乗り込むことができました。さすがに、帰りの12時間はなんとなく気分にも余裕があり、手持ちの睡眠薬のマイスリーをのんでうまく熟睡をえることができました。

ヒューストンを現地時間でお昼に出発して、成田に着いたのは 17日の午後2時ごろということ12時間の飛行で24時間すごしたことになります?

万が一、遅れたときに明日の診察を鳴海先生にお願いする段取りもしないといけないか、ヒューストン空港からの電話の仕方なども身につけておいたりしましたが、とりあえず診察できそうです。

成田で皆さんと解散して、リムジンバスで羽田へ。ほっとしたこともあって2時間ほどあったキャンセル待ちの間に、浴衣姿の女性が一番絞りの生ビールを売っていたのでついつい1500ccものんでしまいました。

おまけ

コスタリカには5つの国産ビールがあります。Imperial(インペリアル)、Pilsen(ピルセン)、Rock Ice(ロックアイス)、Babaria(ババリア)、そしてハイネケンのライセンス生産バージョン。
 今回、レストランで出たり、スーパーでかったのが Imperialでした。一番安くて、一番薄い。飲みやすいということのようです。下の写真はモンテイベルデのコテージ風ホテルのベランダで降りしきる雨のなか、冷えていないImperialを飲んだ後写真。おいしかったですよ。でも、サンホセ、モンテベルデ、ヒューストン、どこも結構上等のホテルだったのですが、どこにも冷蔵庫というものがなかった。旅行中ビールやワインはやっぱり冷えたのを寝る前にのみたいですよね。

他のBabariaが一番高くておいしいらしい。地元のスーパーでお土産をかったときに、一緒にいろいろ買ったらよかったと後悔していますが、「先にたたず」でした。

そして、お土産なら、コーヒーでしょう。
今回ハードスケジュールのために訪れるのを中止にしたコスタリカ最高のコーヒーブランド「カフェ・ブリット」の農園ですが、お土産とした買うのであれば、スーパーで買ったほうが安く、診療所などへのお土産も「世界一おいしいコーヒー」ということで買って帰りました。あっという間になくなるお菓子よりは長く楽しめましたでしょうか??